阿波国の佐藤氏系図
阿波郡伊月
徳島県阿波市市場町伊月に伝わる系図である。
出典:佐藤清隆『佐藤一族:家系と歴史』(東洋書院,1981)
検討
安土桃山時代に成立した系図と思われる。
上から検討していくと,佐藤公清から後藤基雄までは,佐藤有清の子に秀信1,基清の子に基成を載せる点を除けば,註釈含め「尊卑分脈」と一致する。
佐藤基信[六郎]以下からは「尊卑分脈」に記載がない。ただし,基信については,建武3年(1336)に北朝の細川氏に従って土佐国で戦闘に参加した記録があり〔『南路志』〕,年代的な問題も特にない。しかし,この南北朝時代初頭の基信から戦国時代の長常に至るまでの約200年間をわずか3代で繋いでいる点は,あまりに杜撰で信用できない。
佐藤長常・長勝父子については,「古城諸将記」(『阿波国徴古雑抄』)などにも所見があり,また,関連する地名(徳島県板野郡上板町佐藤塚)も残っており,実在したとみてよい。
以上から,この系図は,戦国・安土桃山時代の三好氏家臣の佐藤氏が,「尊卑分脈」の記載や「佐藤六郎基信」の伝承などを参考に作った系図であり,信用できるのは長常以下3代に限られる。
なお,佐藤氏の歴史において当系図の特筆すべき部分は,①阿波国板野郡の佐藤氏が「六郎基信」〔『南路志』〕を先祖とする点,②「六郎基信」を佐藤氏流後藤氏に位置付ける点,③各地の佐藤氏系図に所見はあるが真偽不明の「出羽庄司秀信」について言及する点である。
板野郡の佐藤氏の出自については,「中国・四国地方の佐藤氏の歴史」で検討している。
なお,秀信を載せる系図は,当系図のほかにも,岩手県下閉伊郡山田町,新潟県長岡市,岐阜県加茂郡富加町などにある。また,大分県には「出羽庄司」が来住したとの伝承があるほか,福島県白河市の佐藤家系図には「出羽庄司正信」の記載がある〔以上,『佐藤一族』,『角川姓氏』〕。 ↩︎