前提
- 家系は異なる。個別の事情があるはず。
- 佐藤氏から改めたという伝承がたまたま伝わっている名字に過ぎない。
中世の分流
鎌倉・南北朝時代
『尊卑分脈』『続群書類従』などの系図集によると、佐藤氏から次の氏族が分かれ出ている。
波多野氏流
- 波多野氏
- 松田氏
- 河村氏(川村氏)
- 広沢氏
- 菖蒲氏
- 大友氏
- 沼田氏
首藤氏流
- 首藤氏
- 山内氏(山内首藤氏)
- 小野寺氏
- 那須氏
- 須藤氏
- 鎌田氏
尾藤氏流
- 尾藤氏
- 長谷川氏
- 中野氏
- 田中氏
- 池田氏
- 美藤氏
伊藤氏
- 伊藤氏
伊賀氏流
- 伊賀氏
- 飯野氏
- 稲葉氏
後藤氏
- 後藤氏
その他
- 岩佐氏
- 近江国坂田郡柏原(滋賀県米原市柏原)の佐藤祐行(佐藤公清8代)が自身の通称「岩間武藤太」に因んで称した。
室町・戦国時代
東日本
- 折田氏
- 上野国吾妻郡折田村(群馬県吾妻郡中之条町折田)の佐藤氏が居住地名に因んで称した。
- 後藤氏
- 陸奥国胆沢郡母体村(岩手県奥州市前沢生母天王)の佐藤氏が、敵対していた伊達氏を欺くために称した。
- 信藤氏
- 伊勢国一志郡本村小野辺(三重県津市久居小野辺町)の佐藤氏が称した。→ 信藤氏は、美濃国出身で、織田氏に仕えたのち、永禄5年(1562)に本村に来住した。近世は庄屋を務めた。
- 一坂氏
- 陸奥国刈田郡八宮村(宮城県白石市福岡八宮)の佐藤氏が軍功によって称した。当初は「一ノ坂」と表記した。ただし、「一ノ坂」の場所は不明。
- 榊原氏
- 伊勢国一志郡榊原村(三重県津市榊原町)佐藤基氏が居住地名に因んで称したという。ただし、同氏は伊勢守護の仁木氏の子孫とも称した。→ 榊原氏は、松平(徳川)氏に仕えたのち、近世には譜代大名として越後国高田藩主などを務めた。その出自については、佐藤氏流や仁木氏流など諸説あって一致しないが、一志郡榊原村の出身である点は一致するから、少なくとも戦国時代に同地を拠点とした地侍の系統であると思われる。
- 反橋氏
- 北海道札幌市中央区の伝承では、佐藤氏が住吉大社(大阪市住吉区)の「住吉反橋」に因んで称したという。豊臣秀吉から賜ったと伝える。詳細未調査。
- 藤生氏
- 群馬県桐生市・みどり市などの伝承で、勢多郡新川村藤生沢(新里町新川藤生沢)の地名に因み、佐藤氏が称したという。諸説あり。 → 桐生市の伝承では「安房国(千葉県)の佐藤氏が藤生氏に改めたのち、文明2年(1470)に来住した」という。桐生市梅田町の伝承では「藤原氏であった」という。→ みどり市大間々町桐原では「新川村藤生沢に因んで称した」という。また、桐生市には梅田町上藤生もある。→ 伊勢崎市赤堀の伝承では「佐渡国(新潟県佐渡市)で佐藤氏を称した」という。→ 桐生市に隣接する栃木県足利市での伝承では「江戸時代に越後国から来住した」という。
西日本
- 三箇氏
- 河内国讃良郡三箇村(大阪府大東市三箇)の佐藤包頼(佐藤忠信7代)が居住地名に因んで称したというが、忠信の子孫かどうか、包頼が実在したかどうかは不審。→ 三箇氏は、中世大和国宇智郡今井荘(奈良県五條市)の国人で、のち三箇村に移り、戦国時代にはキリシタン大名として活動した。ただし、同氏の系図は、大部分が単系で、代数も不自然に多いため、信頼度は低い。陸奥国信夫郡の佐藤氏が大和国に土着した経緯も明らかでなく、信用し難い。むしろ「頼」を通字とする点からは、同じく宇智郡宇野荘(奈良県五條市)の国人宇野氏の分流と見る方が自然である。
- 長束氏
- 京都府京都市東山区尾鷲町での伝承では、近江国栗太郡長束村(滋賀県草津市長束町)の佐藤正岑[浄円坊式部俊元]が居住地名に因んで称したという。→ 佐藤正岑の子は豊臣秀吉の重臣長束正家[1600年没]。先祖は平安時代末期の歌人西行(佐藤義清)の子隆聖と伝えるが確証はない。
- 龍造寺氏
- 肥前国の戦国大名龍造寺氏は、藤原季清[佐藤季清]の養子高木季家が肥前国佐嘉郡小津東郷龍造寺村(佐賀県佐賀市)の地頭となったことが起源と伝える。異説多数。
近世の分流
以下は江戸時代に佐藤氏から改めた伝承のある名字である(推定含む)。
東北地方
- 昆藤氏
- 陸奥国磐井郡千厩村(岩手県一関市千厩町千厩)の郷士が、昆野氏と佐藤氏を養子としたことに因んで称した。
- 佐浦氏
- 陸奥国宮城郡塩竈村(宮城県塩竈市)の佐藤氏が、三浦氏の婿養子となったことに因んで称した。
- 佐川氏
- 陸奥国刈田郡斎川村(宮城県白石市斎川)の佐藤氏が、妻が梶川氏であったことに因んで称した。
- 佐越氏
- 秋田県での伝承では、佐藤氏と越国(あるいは越後・越中・越前国のいずれか)に因んで称したという。→ 出羽国飽海郡砂越(さごし)村(山形県酒田市砂越)があるが関連は不明。
関東・中部地方
- 飯塚氏
- 上野国群馬郡小野子村(群馬県渋川市小野子)の佐藤氏が称した。同地およびその周辺では「塚に飯を捧げたことに因む」との伝承と「先祖の出身地である陸奥国信夫郡飯塚村(福島県福島市飯坂町平野)に因む」との伝承がある。明治年間に佐藤氏に復した家もあった。→ なお、小野子村の隣の村上村(渋川市村上)では「下野国芳賀郡(栃木県)の武家芳賀氏の分流で、新田氏に仕えていた際に称した」とも伝える。
- 家徳氏
- 下総国山辺郡家徳村(千葉県東金市家徳)の佐藤氏が屋号「家徳屋」に因んで称した。→ 家徳氏は、美濃国出身で江戸と京都で材木商を営んだと伝える。享保20年(1735)に家徳村を開発し、以後名主を務めた。
- 糀谷氏
- 下野国都賀郡岩崎村(栃木県日光市)の佐藤氏が居住地「糀谷(こうじや)」に因んで称した。「糀谷」は岩崎村の旧称という。
- 指出氏
- 伊豆国賀茂郡岩科村(静岡県賀茂郡松崎町岩科)の佐藤氏が、所有していた神社を慶応年間(1865-68)に「指出」(さしだ)したことに因んで称した。誰に対して「指出」したかは不明。
近畿・四国地方
- 唐金氏
- 和泉国日根郡佐野村(大阪府泉佐野市)の佐藤氏が称した。由来は不詳。→ 唐金氏は、食野氏・矢倉氏と並び佐野村を拠点とした豪商で、海運業・金融業を営んだ。屋号は「橘屋」。なお、16世紀初頭の和泉国人に佐藤氏が見え(『政基公旅引付』)、地理的に同族と思われるが確証はない。
- 楠藤氏
- 阿波国名東郡島田村(徳島市)の庄屋の佐藤繁左衛門が、南北朝時代の武将楠木氏に肖って称した。佐藤氏の先祖が河内国出身で、楠木氏も河内国出身である縁に因むという。→ 楠藤(佐藤)繁左衛門は、祖父吉左衛門の代から袋井用水の開拓に尽力したため、安永5年(1776)に徳島藩から名字帯刀を許された。
江戸幕臣
江戸幕府徒士の松村氏・高田氏・勝田氏が佐藤氏の分流を称した。その先祖については信用ならないが、佐藤氏と何らかの関係があった一族であろう。
- 松村氏
- 先祖は佐藤基綱(先述)の孫基秀で、佐藤氏を称していたがのちに松村氏に改めたと伝える。家伝の情報量が少なく、説明も曖昧である。なお、基綱系の佐藤氏系図が徳島県にある。
- 高田氏
- 先祖は佐藤元治の子継信で、のちに武蔵国幡羅郡別府郷友成(埼玉県熊谷市西別府友成)に住んで友成氏を称したが、17世紀前半の友成久重のとき母方の高田氏に改めたと伝える。継信系かどうかは不審。
- 勝田氏
- 先祖の佐藤元治の4男元信が陸奥国勝田荘(宮城県刈田郡)に住んだことに因むと伝える。他の佐藤氏系図に元信の記述はなく、独創的である。
近現代の分流
以下は明治8年(1875)に全国民が苗字を名乗ることを義務付けられた際に、佐藤氏によって創始された名字である。
- 金里氏
- 岩手県気仙郡住田町世田米の佐藤氏が、出身地(=古里)の岩手県胆沢郡金ケ崎町に因んで称した。
- 佐嶋氏
- 岩手県奥州市江刺の佐藤氏が称した。読みは当初「さとう」であった。
- 三光楼氏
- 岩手県遠野市青笹町青笹の佐藤氏が、頻繁に通っていた遊女屋の屋号「三階楼」をもじって称した。→ 柳田国男『遠野物語拾遺』(1910)に掲載されている。
- 長野浦氏
- 栃木県日光市の力士の佐藤氏が、自身の四股名「長野浦」に因んで称した。
- 真土氏
- 青森県黒石市の伝承では、佐藤氏が青森県弘前市真土に因んで称したという。
- 山田寺氏
- 大分県玖珠郡玖珠町山田の僧侶の佐藤氏が、地名と寺に因んで称した。
その他分流
伝承のある名字
以下の名字(地域)は、経緯不詳であるが、佐藤氏から改称したという伝承がある。
- 入野田氏(宮城県大崎市)
- 駒込氏(岩手県北上市)
- 佐枝藤氏(長野県長野市)
- 藤氏(岩手県一関市)
- 松榮氏(新潟県佐渡市)
- 南浦氏(岩手県一関市)
- 吉塚氏(宮崎県東臼杵郡)
- 吉見氏(宮城県白石市)
「さとう」と読む名字
以下は主に「さとう」と読む名字で、その由来は不詳である(もしくは諸説ある)が、基本的には佐藤氏の分流と考えられる。
- 佐東氏(約1,300人/山形県東村山郡)
- 左藤氏(約500人/大分県玖珠郡・石川県七尾市・神奈川県海老名市など)
- 左東氏(約120人/徳島県名西郡・大分県佐伯市)
- 佐当(佐當)氏(約50人/大分県豊後高田市・兵庫県淡路市)
- 砂藤氏(約50人/青森県八戸市)
- 佐登氏(約50人/北海道・大阪府・兵庫県・広島県)
- 佐籐氏(約10人/山形県など)
- 左登氏(約10人/富山県砺波市)
- 砂東氏(約10人/大分県日田市)
- 沙藤氏(約10人/大分県由布市)
- 佐等氏(約10人/不詳)
砂糖氏(約30人/宮崎県日南市など)は砂糖の製造をしていたことに因むと伝え、佐藤氏とは関係がない。
「佐藤」を含む名字
以下の「佐藤」を含む名字もまた佐藤氏との関連が想像される。
- 佐藤根氏(約200人/滋賀県長浜市・福岡県柳川市)
- 中佐藤氏(約70人/北海道岩見沢市・富山県南砺市)
- 佐藤沢(佐藤澤)氏(約50人/岩手県下閉伊郡)
- 佐藤山氏(約20人/長野県佐久市)
- 三佐藤氏(約10人/兵庫県神戸市)
- 佐藤田氏(不詳)
伊佐藤氏(約10人/長崎県壱岐市)は鯨臥・鯨伏(いさふし)氏の異表記であり、佐藤氏とは関係がない。
その他
さらに宮本洋一『日本姓氏語源辞典・人名力』によれば、佐藤氏と別の名字との合成と推測される名字1もある。
- 藤佐氏(約30人/神奈川県三浦市・岩手県釜石市)「藤原」+「佐藤」?
- 千佐氏(約50人/大阪府堺市・河内長野市)「千葉」+「佐藤」?
- 佐斉氏(約30人/北海道厚岸郡)「佐藤」+「斉藤」?
なお、前掲の昆藤氏、佐浦氏、佐川氏、佐越氏、楠藤氏も、佐藤氏と他氏の合成名字にあたる。
参考資料
- 太田亮『姓氏家系大辞典』(姓氏家系大辞典刊行会,1934-1936)
- 国史大辞典編集委員会『国史大辞典』(吉川弘文館,1979-1997)
- 竹内理三[ほか]編 『角川日本姓氏歴史人物大辞典』(角川書店,1989-1998)
- 洞院公定撰「新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集5」(『故実叢書』3,吉川弘文館,1903)
- 塙保己一編・太田藤四郎補『群書系図部集』(続群書類従完成会,1985)
- 平凡社編『日本歴史地名大系』(平凡社,1979-2004)
- 宮本洋一『日本姓氏語源辞典』(示現舎,2019)
- 『日本姓氏語源辞典・人名力』(name-power.net)
- 須崎春夫『全国の苗字(名字)11万種』(suzaki.skr.jp)
-
宮本洋一『日本姓氏語源辞典・人名力』(name-power.net) ↩︎
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