近現代における名字(=苗字・氏・姓など)は、古代・中世の上流階級の成人男性の個人の通称が起源で、11世紀後半以降に通称のうちの主に地名部分が独立して世襲化したものである。

発生の経緯

公称と通称

平安時代、公家・武家など上流階級の成人男性の公的な名前は氏+姓+名(実名)の3要素で構成され、日常的な通称(仮名)と使い分けられた。

  • 藤原朝臣兼行 ── 淵名大夫
  • 平朝臣良文 ─── 村岡五郎
  • 源朝臣義業 ─── 刑部太郎

この通称は本人(あるいは父祖)の領地居所の地名官名排行名(生まれ順)などで構成された。

  • 淵名大夫(地名+官名)
  • 村岡五郎(地名+排行名)
  • 刑部太郎(父の官名+排行名)

なお、これらはあくまで個人に対する呼び名であり、父子兄弟で異なり、個人でも複数の通称があった

  • 淵名大夫の子は、それぞれの領地から足利大夫、林六郎、長沼大夫を称した。
  • 刑部太郎は他に進士判官とも称した。

通称の世襲

平安時代後期、領地が父から子へと継承されるようになると、通称のうちの地名部分が継承されるようになった。これがやがて名字あるいは名乗(なのり)と呼ばれるようになる。概ね11世紀後半ごろ以降の慣習である。

  • 足利大夫の子は足利太郎、その子は足利孫太郎、その子は足利太郎、足利七郎……と続いた。
  • 刑部太郎の子は佐竹冠者、その子は佐竹四郎、その子も佐竹四郎、その子は佐竹別当……と続いた。

河内源氏の例

下図は、鎌倉幕府を開いた河内源氏の系譜である。実名の右に付した通称に着目すると、11世紀ごろ(前半部)は各人で独立しているが、12世紀ごろ(後半部)になると一部が世襲されはじめたことがわかる

図1.平安時代後期の河内源氏の系譜
  • 源頼信
    • 伊予入道頼義
      • 八幡太郎義家
        • 対馬義親
          • 対馬太郎義信
          • 陸奥四郎為義
            • 頭殿義朝
              • 鎌倉殿・右大将軍頼朝
        • 足利式部大夫義国
          • 新田太郎義重
            • 新田三郎義兼
              • 新田太郎義房
                • 新田太郎政義
          • 足利陸奥判官義康
            • 足利三郎義兼
              • 上総三郎義氏
                • 足利三郎康氏
      • 加茂二郎義綱
      • 新羅三郎義光
        • 刑部太郎義業
          • 佐竹冠者昌義
            • 佐竹四郎隆朝
              • 佐竹四郎/別当秀義
        • 刑部三郎義清
          • 逸見冠者清光
            • 武田冠者信義
              • 石和五郎信光
                • 武田小五郎信政

なお、河内源氏の嫡流(図左側/源頼朝に繋がる系統)は名字を使用しなかった。

補足──姓・氏・家名などとの違い

家系を表す呼称は時代ごとに変化してきた。このうち名字は、古代末から中世初期にこれまでの氏や姓に代替する形で誕生した呼称である。

表2.家系を表す呼称の歴史的用法
時代姓(かばね)姓(せい)氏(うじ・し)名字(みょうじ)苗字(みょうじ)家名(かめい)
古代豪族の階級豪族の政治集団姓と氏の総称
中世△ 機能せず= 氏公家・武家の血縁集団武家の氏以下の血縁集団公家の氏以下の血縁集団
氏や名字の総称
近世△ 機能せず同上= 名字+ 庶民の血縁集団= 名字同上
近現代× 廃止= 氏・名字・苗字法律上、親子や夫婦間で
共有する個人名の一部分
= 姓・氏字・苗字= 姓・氏・名字家系を表す呼称の総称

「姓(かばね)」は南北朝時代ごろまでは意識されていたものの、その後はほとんど機能しなくなった。

参考文献

  • 荻野三七彦『姓氏・家紋・花押』(吉川弘文館,2014)〔新人物往来社,1976〕
  • 奥富敬之『日本人の名前の歴史』(新人物往来社,1999)
  • 武光誠『日本の名字』(角川学芸出版,2015)
  • 豊田武『苗字の歴史』(吉川弘文館,2012)〔中央公論社,1971〕
公開   更新