北海道の佐藤氏の歴史
目次
室町時代
文献上,佐藤氏が初めて蝦夷地に渡ったのは15世紀後半,安東氏家臣の佐藤季行とその子季則である。季行らは長禄年間(1457-60)に蝦夷地へ渡り,中野館(上磯郡木古内町中野)を拠点とした。所領は知内村と湧元村,小谷石村(いずれも上磯郡知内町)にあった。中野館を含む安東氏家臣らの蝦夷地の拠点を総称して道南十二館と呼ぶ。この館主らのうち,コシャマインの戦い(1457-58)を経て力をつけた花沢館主蠣崎氏は,安東氏に代わって蝦夷地での地位を確立し,佐藤氏ら他の館主はこれに従って戦国時代を迎えた。
補足安東氏
補足佐藤季行らの出自
戦国・安土桃山時代
佐藤季行・季則父子の子孫は蠣崎氏の家臣として続いた。佐藤氏は,家臣の中でも比較的重要な地位にあった。季行の孫季元は,蠣崎氏5代当主蠣崎季広(1507-1595)の娘を妻に迎えている。
江戸時代
松前藩士の佐藤氏
蠣崎氏(のち松前氏)家臣の佐藤氏が松前藩の重臣として続いた。シャクシャインの戦い(1669)は,佐藤権左衛門の謀略によって終結に向かったという1。所領は,松前周辺のほかに,江戸時代後期に勇払郡浜ムカワ・下ムカワ,末期に亀田郡,千歳郡にあった2。
その他
松前藩佐藤家の人物以外では,幕末から明治年間にかけての商人佐藤伊三右衛門(1826-1895/栄右衛門)が著名である。伊三右衛門は,陸奥国信夫郡飯坂村(福島県福島市)の出身で,嘉永2年(1849)松前枝ヶ崎町(松前城の南東)に来住したのち,歌棄・磯谷(寿都郡寿都町)でのニシン漁で財を築いた34。
明治・大正年間
1870年代から明治政府により北海道への移住・開拓が推進され,道外から多くの佐藤氏が流入した。当初の移住者は東北地方の士族が中心であったが,次第に東北地方・北陸地方の平民が増えていった。
著名な人物は下記の通り。どちらも東北地方の士族の系統である。
- 佐藤孝郷(1850-1922)
- 白石村(札幌市白石区中央)の開拓を主導した。陸奥国刈田郡白石(宮城県白石市)出身で,白石藩(仙台藩支藩)家老の家系。
- 佐藤昌介(1856-1939)
- 北海道帝国大学初代総長。陸奥国稗貫郡里川口村(岩手県花巻市)出身で,盛岡藩士の家系。
昭和年間
雪印乳業初代社長(1950年設立)を務めた佐藤貢(1898-1999)は,山鼻村(札幌市中央区・南区の一部)の屯田兵佐藤善七の長男である。
図1.現代の北海道の佐藤氏の分布
附録
道南十二館
道南十二館は,14・15世紀ごろの渡島半島南端にあった和人による館(小規模な城砦)の総称で,正確には12以上あった。蝦夷地に進出した安東氏家臣らが,交易・支配の拠点とした。
表1.コシャマインの戦い(1457)時点の道南十二館と館主一覧
館名 | 館主 | 比定地 |
---|---|---|
志苔館 | 小林良景 | 函館市志海苔町・赤坂町 |
宇須岸館 | 河野政通 | 函館市元町 |
茂別館 | 安東家政 | 北斗市矢不来 |
中野館 | 佐藤季則 | 上磯郡木古内町中野 |
脇本館 | 南条季継 | 上磯郡知内町涌元 |
穏内館 | 蒋土季直 | 松前郡福島町館崎 |
覃部館 | 今井季友 | 松前郡松前町東山 |
大館 | 安東定季 相原政胤 | 松前郡松前町神明・福山 |
禰保田館 | 近藤季常 | 松前郡松前町館浜 |
原口館 | 岡辺季澄 | 松前郡松前町原口 |
比石館 | 厚谷重政 | 檜山郡上ノ国町石崎 |
花沢館 | 蠣崎季繁 | 檜山郡上ノ国町上ノ国 |
館主の名字に着目すると,蠣崎(青森県むつ市川内町)を除いて周辺の地名あるいは名字らしいものはなく,むしろ関東以西に多い名字である。
また,後世の各家伝によれば,近藤氏は若狭国,厚谷氏は下野国足利の出身という。さらに,松前氏祖の武田信広は若狭国出身で下野国足利を経て陸奥国田名部に来住したという。いずれにせよ館主たちは在地の有力者というよりは,諸国から何らかの因縁で安東氏のもとに流れ着き,新天地の蝦夷に配属された武士たちと思われる。
松前藩佐藤家の系図
以下は,松前藩士の佐藤家の系図である。嫡流(左の系統)は安東氏家臣時代以来の「季」を通字としている。
佐藤唯則(男破魔)は,水戸藩士永井源兵衛の次男で,嘉永1年(1848)に松前藩に至り,佐藤家を相続した。当初,佐藤季直(直次郎)と称し,のち唯則に改めた。箱館戦争(1868-69)には,子破魔児とともに参戦した。
参考文献
シャクシャインの戦い(1669)は,松前藩とアイヌの首長シャクシャインとの戦い。松前藩の佐藤権左衛門の謀略で,和解を装って酒宴を開催し,その場でシャクシャインを含む幹部14人を殺害したことで終結に向かった。 ↩︎
享保12年(1727)勇払郡浜ムカワ(勇払郡むかわ町)に佐藤孫左衛門,天明年間(1781-1789)・寛政4年(1792)下ムカワ(勇払郡むかわ町)に佐藤東馬の所領があり,幕末には亀田郡(七飯町・北斗市・函館市周辺)に佐藤権左,勇払郡に佐藤求馬,ほか千歳郡(千歳市・恵庭市)に所領があった〔村岡檪斎『日本地理志料』東陽堂,1903〕。 ↩︎
当時の漁場は「旧歌棄佐藤家漁場」(寿都郡寿都町)として2016年に国史跡に指定された。 ↩︎
子の栄右衛門(1862-1917/幾太郎)は寿都銀行頭取,北海道会議員などを経て,1915年から衆議院議員を務めた。 ↩︎