系図編
『尊卑分脈』の佐藤氏系図
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目次
『尊卑分脈』(以下,「尊卑」)における佐藤氏の系譜ついて,任意の系統に分けて記載し,簡単なコメントを付した。
補足『尊卑分脈』とは何か
補足
『尊卑分脈』は,南北朝時代に藤原公定によって編纂された系譜集である。中世の公家・武家の系図を検討するにあたって,最も基礎的な史料の一つとして扱われている。正式名称は「新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集」という。
各種系図の中では比較的信頼されてはいるものの,必ずしも作為・錯誤が含まれないわけではないので注意を要する。
総説
佐藤氏は,藤原秀郷から4代後の藤原公行の子孫にあたる一族である。
秀郷流の中の佐藤氏
秀郷の子孫のうち,関東を離れて京都に進出した系統である。
秀郷以前
秀郷は,藤原北家魚名流に位置付けられている。ただし,祖父豊沢と父村雄については実在を裏付ける証拠がない。
公清系
総説
公光の子公清の系統である。弟の経範,公季については次項で扱う。
公清の子は5人いて,公隆以外は子孫の記述がある。
季清系
主に紀伊国那賀郡(和歌山県紀の川市など)を拠点とした。
助清系(首藤氏)
- 助清は,公清の養子で,実父は守部氏とされている。
- 子孫は首藤氏を称し,さらに山内氏(山内首藤氏),小野寺氏,鎌田氏などに分かれた。
- 系図によっては藤原北家小一条流を称するものもあるが,尊卑では秀郷流に記載されている。
公郷系(後藤氏)
- 公郷の子公広が後藤則明の養子となったため,以降は本来的には利仁流後藤氏の系譜であるが,子孫が秀郷流を強調したためか,秀郷流に記載されている。
- また,公広から4代後の後藤基清も,実父は佐藤仲清(季清系/西行の兄)であるが,当家の養子になっている。
- なお,公広の兄清郷の系統は,東北地方の系図に記載されていることもあるが,尊卑には東北地方と関連を匂わせる記述はない。
公澄系(尾藤氏・伊藤氏)
公澄の孫のうち,知昌の系統が尾藤氏を,基景の系統は伊藤氏を称した。なお,基景は養子とされている。
「矢島」「外島」については,「多島」とするものある。
経範系
- 経範は,公光の養子で,実家は佐伯氏とされている。
- 経範以後,相模国波多野荘(神奈川県秦野市)を拠点としたため,波多野氏を称し,さらに松田氏,河村氏などに分かれた。
公季系
公季から4代後の朝光から伊賀氏を称した。
参考文献
- 洞院公定撰「新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集」
- 『故実叢書』(第3輯,吉川弘文館,1903)
- 「日本古典籍データセット」(人文学オープンデータ共同利用センター)
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