藤で終わる名字は、ごく一般的な形式であり、合計で510種ある。「全国の名字ランキング」1によれば、上位100種中に10種(佐藤・伊藤・加藤・斎藤・後藤・近藤・遠藤・斉藤・工藤)があり、この合計人口だけで594.7万人(20人に1人程度)にのぼる。
このうち、推定人口が6,000人を超える○藤の由来は下表の通りである。主に平安時代後期の武士階層の藤原氏が使用し始めた呼称で、官名の1字を採るのが主流であるが、地名や氏族名から採ることもある。
表1.藤で終わる名字の由来(人口上位30)
名字 | 現人口 | 発生時期 | 代表的な由来 |
---|---|---|---|
佐藤 | 189.2万 | 11世紀 | 佐渡守+藤原公行🎗 |
伊藤 | 105.8万 | 11世紀 | (1)伊豆国司の官名または伊豆国伊東荘+藤原維職🎗🏡 (2)伊勢国司の官名+藤原氏🎗 |
加藤 | 84.1万 | 11世紀 | 加賀介+藤原景道🎗 |
斎藤 | 55.5万 | 10世紀 | 斎宮頭+藤原叙用🎗 |
後藤 | 37.2万 | 11世紀 | 備後守および肥後守+藤原公則🎗 |
近藤 | 36.0万 | 11世紀 | 近江掾+藤原脩行🎗 |
遠藤 | 32.3万 | 11世紀? | 遠江国司の官名+藤原氏🎗 |
斉藤 | 31.1万 | ? | 「斎藤」の異表記🔀 |
工藤 | 23.5万 | 10世紀 | 木工助+藤原為憲🎗 |
安藤 | 22.1万 | 12世紀 | (1)信濃国安曇郡+藤原氏🏡 (2)安倍氏+藤原氏👥 (3)「安」を含む官名・地名・氏族名+藤原氏🎗🏡👥 |
内藤 | 12.4万 | 12世紀 | 内舎人+藤原行俊🎗 |
須藤 | 10.9万 | 12世紀? | 下野国那須郡+藤原氏🏡または「首藤」の異表記🔀 |
武藤 | 8.7万 | 11世紀? | (1)武者所+藤原頼平🎗 (2)武蔵国司の官名+藤原氏🎗 |
進藤 | 3.4万 | 11世紀 | 修理進+藤原為輔🎗 |
江藤 | 3.3万 | ? | (1)「衛藤」の異表記🔀 (2)「江」を含む地名・氏族名+藤原氏🏡👥 |
首藤 | 2.3万 | 11世紀 | 主馬首+藤原助清🎗 |
衛藤 | 1.5万 | 12世紀? | (1)「衛」を含む官名+藤原氏🎗 (2)江藤氏の異表記🔀 |
新藤 | 1.2万 | ? | (1)「新しい」の意 (2)「進藤」 の異表記?🔀 |
兵藤 | 0.9万 | 11世紀 | 兵部大輔+藤原正経🎗 |
松藤 | 0.9万 | 13世紀? | 地名?🏡 |
井藤 | 0.8万 | 近世 | 紀伊国名草郡藤白+亀井氏🏡 |
大藤 | 0.8万 | 13世紀? | 「大」を含む地名・氏族名+藤原氏🏡👥 |
谷藤 | 0.8万 | 近世 | 「谷」を含む地名・氏族名+藤原氏🏡👥 |
権藤 | 0.7万 | 近世 | 肥後国飽田郡権藤🏡 |
木藤 | 0.7万 | 近世 | (1)「紀藤」の異表記🔀 (2)「木」を含む地名・氏族名+藤原氏🏡👥 |
清藤 | 0.7万 | 14世紀? | (1)清原氏+藤原氏👥 (2)清遠氏の異表記🔀 (3)地名など🏡 |
尾藤 | 0.7万 | 12世紀 | 尾張守+藤原公郷・知昌🎗 |
古藤 | 0.6万 | 近世 | (1)地名🏡 (2)「古」を含む地名・氏族名+藤原氏🏡👥 |
森藤 | 0.6万 | 近世 | 「森」を含む地名・氏族名+藤原氏🏡👥 |
高藤 | 0.6万 | ? | (1)高階氏+藤原氏👥 (2)高遠氏の異表記🔀 |
由来は『姓氏家系大辞典』(太田亮,1934-36)と『日本姓氏語源辞典』(宮本洋一,2019)を主に参照した。
補足
- 伊藤氏は伊豆由来と伊勢由来の2系統がある。伊豆系は「伊東」とも表記された。
- 後藤氏は藤原公則の通称「後藤太」が起源であるが、公則は備後守にも肥後守にも補任されており、どちらを指すのか、あるいはその両方なのか判然としない。
- 江藤氏と衛藤氏は分布も相似していて同族と思われるが、どちらが先に発生したか不明。衛藤氏の伝承では「左兵衛佐藤原仲頼」が祖というが不審。
- 大藤氏・谷藤氏・森藤氏については伝承・記録がなく、由来が判明しなかったため暫定的な記述にとどめた。
氏祖の系譜
ちなみに官名由来の名字は、その氏祖の系譜を見るとごく関係の近い特定の家系で使用されていることがわかる(【図1】【図2】【図3】)。
【図1】北家魚名流
- 利仁
- 斎藤叙用
- 吉信
- 伊博
- 後藤公則
- 則経
- 則明
- 則経
- 為延
- 進藤為輔
- 後藤公則
- 重光
- 貞正
- 正重
- 加藤景道
- 正重
- 貞正
- 伊博
- 吉信
- 斎藤叙用
【図2】秀郷流
- 秀郷
- 千時
- 千清
- 正頼
- 頼清
- 頼俊
- 内藤行俊
- 頼俊
- 頼清
- 正頼
- 千清
- 千常
- 文脩
- 文行
- 佐藤公行
- 公光
- 公清
- 首藤助清
- 公澄
- 知基
- 尾藤知昌
- 伊藤基景
- 知基
- 公清
- 公光
- 近藤脩行
- 行景
- 景親
- 景頼
- 武藤頼平
- 景頼
- 景親
- 行景
- 佐藤公行
- 文行
- 文脩
- 千時
【図3】南家乙麿流
- 工藤為憲
- 時理
- 維景
- 伊藤維職
- 維景
- 為時
- 時頼
- 時文
- 遠藤公時
- 武藤維雄
- 時文
- 時頼
- 時理
▲ 為時以下は「相良系図」「遠藤系図」(『続群書類聚』)によるが、信用度は低い。遠藤は遠江国の豪族が藤原氏と婚姻して名乗った可能性が指摘される。
藤原利仁(【図1】)は10世紀初頭に、藤原秀郷(【図2】)と藤原為憲(【図3】)は10世紀半ばから後半ごろに活躍した地方豪族である。その軍事力を朝廷から高く評価され、その子孫は「兵の家」として認知されていた。
参考文献
- 太田亮『姓氏家系大辞典』(姓氏家系大辞典刊行会、1934-36)
- 宮本洋一『日本姓氏語源辞典』(示現舎、2019)
-
「全国の名字ランキング」(『日本姓氏語源辞典』)参照。 ↩︎
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