広沢氏(ひろさわ-し)は波多野氏の分流の一つ。中世備後国三谿郡(広島県三次市)の領主で、和知(和智)氏と江田氏に別れた。近世、和知(和智)氏は長州藩士、広島藩士。
和知氏の分流が甲斐国都留郡(山梨県)に土着して繁栄した[年代・経緯不詳]。
起源
波多野遠義の子実方が大蔵合戦(1155)の恩賞として武蔵国新座郡広沢(埼玉県朝霞市周辺)を拝領したことを起源とする。
展開
源平合戦・承久の乱の恩賞として備後国三谿郡(広島県三次市)の地頭職を得た。嫡流は鎌倉に留まって幕府に出仕し、庶流が現地で支配にあたり、その後江田荘を継承した系統(江田氏)と和知荘を継承した系統(和知または和智氏)とに分かれた。なお、嫡流の鎌倉時代以後の動向は不詳である。
南北朝時代、和知氏は瀬戸内海沿岸まで所領を拡大し、本拠を三谿郡吉舎(三次市吉舎町吉舎)に移した。戦国時代には、江田氏は尼子氏に属して滅びたが、毛利氏に属した和智氏は近世長州藩士として長門国で存続した。
現代の分布
広沢氏(11,400人)は、茨城県筑西市・桜川市(各300人)に最も多いが、普遍的な地名のため全国各地に点在しており、特段の地域性はない。関東地方に点在するものは、先述の武蔵国新座郡広沢や上野国山田郡広沢、あるいは武蔵国幡羅郡広沢郷(位置不詳/埼玉県熊谷市)に由来するものと思われる。波多野氏流広沢氏と関係するかは未調査。中国地方の市町村では、鳥取県鳥取市(100人)、島根県雲南市(100人)、広島県庄原市(70人)の順で多く、庄原市の一族については三谿広沢氏の系統と思われる。
和知氏(和智氏・和地氏)の分布
和知氏(3,600人)は、和智氏(2,500人)や和地氏(2,200人)の表記がある。和知氏は福島県白河市(600人)、和智氏は山梨県上野原市(500人)、和地氏は茨城県日立市(200人)で最も多い。 一方、波多野氏流和知氏の発祥地である広島県では3表記併せても県全体で100人程度と少ない。
和知氏および和地氏は、宮城県から栃木・茨城県に多いが、この源流は南北朝時代より陸奥国白河郡(福島県白河市)の結城氏重臣として所見のある和知氏と思われる。この和知氏は結城氏庶流という。
和智氏は、山梨県上野原市で最も多く、当地では三谿郡和智(三次市和知町)の出身と伝え、波多野氏流と関連する。また、上野原市に近接する東京都八王子市(200人)や神奈川県相模原市(110人)にも一族が展開している。来住の経緯は不詳である。
長州藩士に和智氏、広島藩士には和知氏がいた。
江田氏の分布
江田氏(16,600人)は、大分県日田市(1,300人)、岡山市(700人)、栃木県栃木市・日光市(各300人)の順に多い。中国地方では岡山市のほかは広島県福山市(200人)、島根県出雲市(130人)・安来市(100人)の順で多く、エダ地名も多数あり、波多野氏流との関係は不詳である。
主な参考文献
- 平凡社編『日本歴史地名大系』(平凡社,1979-2004)
- 平凡社編『日本歴史地名大系』(平凡社,1979-2004)
- 太田亮『姓氏家系大辞典』(姓氏家系大辞典刊行会,1934-1936)
- 宮本洋一『日本姓氏語源辞典・人名力』(name-power.net)