広沢氏(和知氏・江田氏)
目次
広沢氏(ひろさわ-し)は波多野氏の分流の一つ。中世の備後国三谿郡(広島県三次市)の領主で,和知(和智)氏と江田氏に別れた。うち,和知(和智)氏は,近世長州藩士および広島藩士として続いた。
起源
波多野遠義の子実方が大蔵合戦(1155)の恩賞として武蔵国新座郡広沢(埼玉県朝霞市周辺)を拝領したことを起源とする。
展開
鎌倉時代
治承・寿永の乱(1180-1185)または承久の乱(1221)の恩賞として備後国三谿郡(広島県三次市)の地頭職を得た。嫡流は鎌倉に留まって幕府に出仕したが,庶流が現地で支配にあたった。
その後,三谿郡江田(三次市向江田町周辺)を継承した系統の江田氏と和知(三次市和知町周辺)を継承した系統の和知氏(または和智氏)とに分かれた。
南北朝時代以降
南北朝時代,和知(和智)氏は瀬戸内海沿岸まで所領を拡大し,本拠を三谿郡吉舎(三次市吉舎町吉舎)に移した。
戦国時代には,江田氏は尼子氏に属して滅びたのに対し,和知(和智)氏は毛利氏に属して生き残り,江戸時代は長州藩士および広島藩士として続いた。
なお,長州藩士は「和智」氏,広島藩士には「和知」氏と表記する。
その他
甲斐国都留郡桑久保(山梨県上野原市桑久保)周辺での伝承では,同地の和智氏は備後国三谿郡和知から来住したという。ただし,移住の年代と経緯は不明である。
現代の分布
広沢氏の分布
広沢氏(11,400人)は,茨城県筑西市・桜川市(各300人)に最も多い。ただし,普遍的な地名のため全国各地に点在しており,特に強い地域性はない。
関東地方に点在する広沢氏については,先述の武蔵国新座郡広沢や上野国山田郡広沢,あるいは武蔵国幡羅郡広沢郷(位置不詳/埼玉県熊谷市)に由来するものと思われる。これらが波多野氏流広沢氏と関係するかは未調査である。
中国地方では,鳥取県鳥取市(100人),島根県雲南市(100人),広島県庄原市(70人)の順で多い。このうち少なくとも庄原市の一族については,地理的に,三谿広沢氏の系統と思われる。
和知氏(和智氏・和地氏)の分布
和知氏(3,600人)は,和智氏(2,500人)や和地氏(2,200人)の表記がある。和知氏は福島県白河市(600人),和智氏は山梨県上野原市(500人),和地氏は茨城県日立市(200人)で最も多い。ただし,波多野氏流和知氏の発祥地である広島県では,3表記併せても100人程度と少ない。
和知氏と和地氏は,どちらも宮城県から栃木・茨城県にかけて多いことから,この源流は南北朝時代より陸奥国白河郡(福島県白河市)の結城氏重臣として所見のある和知氏の系統が多数派であると思われる。この和知氏は結城氏庶流というが,名字地は不明である。
これらに対して和智氏は,山梨県上野原市(500人)で最も多く,同地では備後国三谿郡和智(広島県三次市和知町)の出身と伝えるため,波多野氏流と関連する系統が多数派であると思われる。また,上野原市に近接する東京都八王子市(200人)や神奈川県相模原市(110人)にも一族が展開している。
なお,先述の通り,同じ波多野氏流であっても,長州藩士は和智氏,広島藩士は和知氏と表記している。
江田氏の分布
江田氏(16,600人)は,大分県日田市(1,300人),岡山市(700人),栃木県栃木市・日光市(各300人)の順に多い。
中国地方では,岡山市のほかは広島県福山市(200人),島根県出雲市(130人)・安来市(100人)の順で多いが,地理的には,これらはむしろ備後国御調郡江田村(尾道市御調町江田)や出雲国神門郡江田村(島根県出雲市江田町)など各地の江田地名に由来すると考える方が妥当である。
したがって,分布を見ると,波多野氏流江田氏は,三谿郡にはすでに(ほとんど)残っていないか,広沢氏に復した可能性が考えられ,更なる調査を要する。
主な参考文献
- 平凡社編『日本歴史地名大系』(平凡社,1979-2004)
- 太田亮『姓氏家系大辞典』(姓氏家系大辞典刊行会,1934-1936)
- 宮本洋一『日本姓氏語源辞典・人名力』(name-power.net)