1. 佐藤氏の分流
  2. 広沢氏(和知氏・江田氏)
分流編

広沢氏(和知氏・江田氏)

公開
更新

広沢氏(ひろさわ-し)は波多野氏の分流の一つ。中世備後国三谿郡(広島県三次市)の領主で,和知(和智)氏と江田氏に別れた。近世,和知(和智)氏は長州藩士,広島藩士。

和知氏の分流が甲斐国都留郡(山梨県)に土着して繁栄した[年代・経緯不詳]。

起源

波多野遠義の子実方が大蔵合戦(1155)の恩賞として武蔵国新座郡広沢(埼玉県朝霞市周辺)を拝領したことを起源とする。

展開

源平合戦・承久の乱の恩賞として備後国三谿郡(広島県三次市)の地頭職を得た。嫡流は鎌倉に留まって幕府に出仕し,庶流が現地で支配にあたり,その後江田荘を継承した系統(江田氏)と和知荘を継承した系統(和知または和智氏)とに分かれた。なお,嫡流の鎌倉時代以後の動向は不詳である。

南北朝時代,和知氏は瀬戸内海沿岸まで所領を拡大し,本拠を三谿郡吉舎(三次市吉舎町吉舎)に移した。戦国時代には,江田氏は尼子氏に属して滅びたが,毛利氏に属した和智氏は近世長州藩士として長門国で存続した。

現代の分布

広沢氏(11,400人)は,茨城県筑西市・桜川市(各300人)に最も多いが,普遍的な地名のため全国各地に点在しており,特段の地域性はない。関東地方に点在するものは,先述の武蔵国新座郡広沢や上野国山田郡広沢,あるいは武蔵国幡羅郡広沢郷(位置不詳/埼玉県熊谷市)に由来するものと思われる。波多野氏流広沢氏と関係するかは未調査。中国地方の市町村では,鳥取県鳥取市(100人),島根県雲南市(100人),広島県庄原市(70人)の順で多く,庄原市の一族については三谿広沢氏の系統と思われる。

和知氏(和智氏・和地氏)の分布

和知氏(3,600人)は,和智氏(2,500人)や和地氏(2,200人)の表記がある。和知氏は福島県白河市(600人),和智氏は山梨県上野原市(500人),和地氏は茨城県日立市(200人)で最も多い。 一方,波多野氏流和知氏の発祥地である広島県では3表記併せても県全体で100人程度と少ない。

和知氏および和地氏は,宮城県から栃木・茨城県に多いが,この源流は南北朝時代より陸奥国白河郡(福島県白河市)の結城氏重臣として所見のある和知氏と思われる。この和知氏は結城氏庶流という。

和智氏は,山梨県上野原市で最も多く,当地では三谿郡和智(三次市和知町)の出身と伝え,波多野氏流と関連する。また,上野原市に近接する東京都八王子市(200人)や神奈川県相模原市(110人)にも一族が展開している。来住の経緯は不詳である。

長州藩士に和智氏,広島藩士には和知氏がいた。

江田氏の分布

江田氏(16,600人)は,大分県日田市(1,300人),岡山市(700人),栃木県栃木市・日光市(各300人)の順に多い。中国地方では岡山市のほかは広島県福山市(200人),島根県出雲市(130人)・安来市(100人)の順で多く,エダ地名も多数あり,波多野氏流との関係は不詳である。

主な参考文献

  • 平凡社編『日本歴史地名大系』(平凡社,1979-2004)
  • 太田亮『姓氏家系大辞典』(姓氏家系大辞典刊行会,1934-1936)
  • 宮本洋一『日本姓氏語源辞典・人名力』(name-power.net