藤で終わる名字(特徴)
本記事では,藤で終わる名字の特徴を列挙して,簡単な説明を加えた。
平安時代後期の武官や地方豪族の藤原氏が使用しはじめたこと
藤で終わる名字の氏祖(系図上の最初の人物)は,「藤で終わる名字(概説)」で見たように,11世紀前後に朝廷に仕えた官人,特に国司(受領)や武官に任じられた六位前後の人物たちであった。また,由来不詳の遠藤氏や安藤氏,須藤氏,江藤氏,衛藤氏なども,これらに似た時期に,似た階層の官人や地方豪族が称したものであろう。
また,彼らは,系図上近い関係にある。
他の氏では見られない構造であること
藤で終わる名字は,官職名(または地名)の1字と氏族名の1字を合成した名字である。こうした構造の名字は,源氏や平氏など,藤原氏以外の氏(うじ)では見られない,特殊な成り立ちの名字である。
以下は,藤原氏以外の氏について「氏族名+輩行名」の組み合わせで,12世紀以前に絞って検索した結果である。いずれも個人名と思われ,世襲された痕跡はなく,また,官職名と組み合わせた形式のものも見つからなかった。
- 1096(嘉保3):「
源太郎
」〔『大東急記念文庫文書』〕 - 1137(保延3):「
源次入道
」〔『狩野亨吉氏蒐集文書』〕 - 1142(永治2):「
字伊波乃源太ト申男
」〔『愚昧記』〕 - 1169(嘉応1):「
川合源三友弘
」〔『久利文書』〕 - 1175(承安5):「
杜屋御庄
[……]藤二
[……]源二
」〔『東大寺文書』〕 - 1196(建久7):「
雑賀
[……]庄住人源太丸
」〔『高野山文書』〕
- 1141(仁治2):「
群盗張本新平太等
」〔『吾妻鏡』〕
- 1184(元暦1):「
清原江太
」〔『古文書集』〕
- 1129(大治4):「
紀二郎丸
」〔『愚昧記』〕 - 1144(康治3):「
字国埼紀太
」〔東大寺文書〕 - 1146(久安2):「
大二郎紀太
」〔『愚昧記』〕 - 1178(治承2):「
紀次郎
」〔『鷹尾別符高良別宮旧記写』〕
地名と併称されること
藤で終わる名字は,鎌倉時代ごろは,地名を冠して称されることがあった。
本来,地名由来の名字であれば,「梶原平三
」,「比企藤四郎
」などと表記すれば済むところ,藤で終わる名字は「河村佐藤五郎
」,「波多野佐藤五経貞
」,「鎌田新藤次郎
」などと地名を付け加えて表記されることがあった。
具体的な例
まず,地名と併称された佐藤氏の記録については次のとおりである。
- 1189(文治5)「
信夫佐藤庄司
」〔『吾妻鏡』〕 - 1213(建保1)「
花山佐藤兵衛尉
」〔『華頂要略』〕 - 1221(承久3)「
沼田佐藤太
」〔『吾妻鏡』〕 - 1221(承久3)「
県佐藤四郎
」〔『吾妻鏡』〕 - 1278(弘安1)「
井谷佐藤太入道
」〔『摂津多田神社文書』(鎌倉遺文13007)〕 - 1299(永仁7)「
波多野佐藤左衛門尉広能
」〔『紀伊薬王寺文書』(鎌倉遺文19934)〕 - 1304(嘉元2)「
河村佐藤五郎入道
」〔『徴古文府坤』(鎌倉遺文21871)〕 - 1320(元応2)「
白井田佐藤五
」〔『摂津勝尾寺文書』(鎌倉遺文27578,27621)〕 - 1345(貞和1)「
中野佐藤太
」〔『岡本文書』〕 - 1353(文和2)「
波多野小二郎景高代子息佐藤五経貞
」〔『雲頂菴文書』〕
このほかにも,波多野氏,松田氏,河村氏などの系図で,通称として「佐藤」を称した人物多数あり〔『群書類従』〕。
- 1182(寿永1)「
古庄近藤太
」〔『吾妻鏡』〕 - 1188(文治4)「
鎌田新藤次郎
」〔『吾妻鏡』〕 - 1204(元久1)「
山内首藤刑部丞経俊
」〔『吾妻鏡』〕 - 1249(建長1)「
岡見伊藤次
」〔『文永元年因明短釈裏文書』〕 - 1262(弘長2)「
大友の伊藤三郎
」〔『志賀文書』〕
佐藤氏のブロックの最後の例に着目すると,文の構造からして,フルネームは「波多野小二郎景高」とその子「波多野佐藤五経貞」ということになる。つまり,「佐藤(五)」の部分は,少なくともこの場面においては,名字としてでではなく,個人名の一部として扱われている。これは藤源平の各氏の個人名に見られる「藤太」や「源二」,「平三」などと同様の用法である。
その一方で,「佐藤」単独で使う例も多数あるから,藤で終わる「名字」は,氏(うじ)のように,家系の名称としても,個人の名称の一部としても使用することができた。つまり,藤で終わる名字は,「名字よりも広い同族概念」1であったといえる。
名字は氏の下位区分であるから,通常,両者は下記の関係にあるものと理解される。
└── 藤原氏/
├── 佐藤氏
├── 工藤氏
├── 首藤氏
├── 波多野氏
├── 河村氏
├── 伊東氏
├── 二階堂氏
├── 首藤氏
├── 小野寺氏
└── 山内氏
しかし,藤で終わる名字については,これに地名(名字)を冠したり,個人名としても扱われたりするなど,氏のような用法もあった。名字それ自体に氏(「藤」)を含むことからも想像できるように,下記の通り,単なる地名由来の名字よりも広い同族概念として整理できる。
└── 藤原氏/
├── 佐藤氏/
│ ├── 波多野氏
│ └── 河村氏
├── 工藤氏/
│ ├── 伊東氏
│ └── 二階堂氏
└── 首藤氏/
├── 小野寺氏
└── 山内氏
結論
氏と名字の中間的同族概念
藤で終わる名字は,古代から中世へ,すなわち公家政権から武家政権へと変化した時代に,古代・公家的な同族概念である氏(うじ)と中世・武家的な同族概念である名字の両方の性質を併せ持つ中間的な同族概念として生み出されたものである。
これを使用しはじめた人物たちが,当時,公家と武家の中間的な役割を担った層の人々(武官)であったことは,決して偶然ではないだろう。
現代の人口との関係
現代においても,藤で終わる名字は多い。全国の名字ランキング上位100のうち10が藤で終わる名字であり,これを合計すると594.7万人(日本人の20人に1人程度)となる2。
藤で終わる名字が,名字を包摂する,いわば名字の上位概念であったことも,ここまで人口が増えた要因の一つではないかと考えられる。
その他(庶民の個人名としての「○藤」)
「○藤」は,名字を持たない庶民の個人名としても記録がある。これも,先ほど指摘した,氏(うじ)に近い用法である。
- 1294年(永仁2)「
佐藤三
」「五藤次
」「後藤三
」「新藤太
」ほか多数- 大和国山辺郡(奈良県天理市周辺)
- 1317年(文保1)「
紀藤次
」・「佐藤三
」兄弟?- 大和国大川・忍熊(奈良市中山町・秋篠町)
- 1319年(元応1)「
左藤次
」「仁藤三
」- 近江国葛川(滋賀県大津市)
- 1341年(暦応4)「
木藤太
」・「佐藤次
」兄弟- 若狭国太良荘(福井県小浜市太良庄)
- 1343年(康永2)「
佐藤三
」「矢藤太
」- 摂津国垂水荘(大阪府吹田市・豊中市周辺)
(1)では「源三郎」「平次郎」,(3)では「弥平次」「相六」「平五」など個人名と並んで記録されているほか,(4)は兄弟であるから,これらの「○藤」は,氏族名と排行名の組み合わせではなく,ひとつの個人名と解釈すべきである。